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多文化教育研究所
『多文化主義と言語・教育問題』(2)
【III】
カナダの多文化主義については、おそよ200タイトルにも及ぶ政府刊行物、研究書、研究論文が刊行されているが、もっとも新しい刊行物として、ジョゼ・ウォリング著『1869年から今日に至るカナダ憲法とケベックおよび英系カナダとの関係の進展』(1993)があり、文化政策・法制上の問題をあとづけたものとして必備である。ベルギーについては、テオ・エルマン編著『フラマン運動 ー資料史1780・1990』(1992)が、最近の著書としては必見と思われる。世界的な視野では、2言語主義を論じたものとしてグリン・ルイスの『2言語主義と言語教育』(1981)をあげることができよう。わが国の研究状況としては、カナダ多文化主義について、伊藤勝美著『フランス系カナダ問題の研究ー少数民族問題とカナダ連邦の試練』(1973)、綾部恒雄著『カナダ民族文化の研究ー多文化主義とエスニシティ』関口礼子編著『カナダ多文化主義教育に関する学祭的研究』(1988)などがあるが、最近10年間の展望について論じられたものが少ないだけに、その欠を補っていく必要があるように思われる。
【IV】 世界には、数多くの民族を抱え、さまざまな言語文化集団からなる国がある。なかには民族対立や紛争の嵐に国が崩壊の危機に瀕する中で、自らのアイデンティティを求めて、それぞれの民族遺産・伝統文化保持のために苦闘している人々もいる。わが国のように、単一民族による単一文化の長い伝統を誇っている民族国家は数少ない。その日本すらが、長い歴史の過程では決して他の民族文化との接触を排除することはできなかったし、今日においては国際化の波に洗われながら否応なく他の民族文化を取り込みつつ、すこしずつ多元化の道を歩き始めていると言うべきだろう。カナダは、建国の民と証する英仏に民族とその後の大量の移民によって、複雑な民族構成をなす国家である。多文化主義は、多民族集団の共存と繁栄への道を模索するものとして成立した。しかしそこには多元性をみずからの資産とする美しい理念の陰に、統一的集権をめざす連邦制と地域主義的多様性の葛藤も見え隠れしている。ここではその多文化主義の成立と現状の一班をみつめておきたい。 I 【1】 ヌーヴェル・フランス、ケベック植民地時代を経て、アパー・ロワー・カナダを統合し、ノヴァ・スコシア、ニューブランズウイック、オンタリオ州をもって、カナダ自治領(ドミニオン・オヴ・カナダ)が成立したのが、1867年である。このとき英領北アメリカ法(1867年憲法)は、とくに言語に関する少数者の権利を保障する2つの条項を含んでいた。ひとつは州レベルで教育に関する立法権を各州に付与し、言語教育の権利を保護する第63条であり、もうひとつは、議会、法廷における2言語主義をある程度保証する133条である。しかしこれは、実際にはケベック州と連邦政府にしか適用されないという不十分なものであり、それが1867年以降ケベック州と英系カナダとの複雑な関係を生み出す原因となった。英領北アメリカ法133条は、1760年以来フランス語の公的な使用を認めた最初の憲法であった。連邦政府とケベック州において仏系の権利を公認したことは、仏系にとって象徴的な勝利を意味し、どの州に居住しても、連邦裁判所でフランス語で弁論ができるという権利、連邦の法案をフランス語で知るという権利、さらに上院であれ下院であれ、連邦議会においてフランス語での発言の権利を保障するものであった。しかしケベック州においては、133条は多数民族の仏系の権利を擁護するものではなくて、少数民族の英系の権利を擁護するものとなり、その限りでは、ケベック州は、その立法権を制限されるような義務によって拘束されることになった。 |
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